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РЕКЛАМА
On this episode of Advances in Care , host Erin Welsh and Dr. Craig Smith, Chair of the Department of Surgery and Surgeon-in-Chief at NewYork-Presbyterian and Columbia discuss the highlights of Dr. Smith’s 40+ year career as a cardiac surgeon and how the culture of Columbia has been a catalyst for innovation in cardiac care. Dr. Smith describes the excitement of helping to pioneer the institution’s heart transplant program in the 1980s, when it was just one of only three hospitals in the country practicing heart transplantation. Dr. Smith also explains how a unique collaboration with Columbia’s cardiology team led to the first of several groundbreaking trials, called PARTNER (Placement of AoRTic TraNscatheteR Valve), which paved the way for a monumental treatment for aortic stenosis — the most common heart valve disease that is lethal if left untreated. During the trial, Dr. Smith worked closely with Dr. Martin B. Leon, Professor of Medicine at Columbia University Irving Medical Center and Chief Innovation Officer and the Director of the Cardiovascular Data Science Center for the Division of Cardiology. Their findings elevated TAVR, or transcatheter aortic valve replacement, to eventually become the gold-standard for aortic stenosis patients at all levels of illness severity and surgical risk. Today, an experienced team of specialists at Columbia treat TAVR patients with a combination of advancements including advanced replacement valve materials, three-dimensional and ECG imaging, and a personalized approach to cardiac care. Finally, Dr. Smith shares his thoughts on new frontiers of cardiac surgery, like the challenge of repairing the mitral and tricuspid valves, and the promising application of robotic surgery for complex, high-risk operations. He reflects on life after he retires from operating, and shares his observations of how NewYork-Presbyterian and Columbia have evolved in the decades since he began his residency. For more information visit nyp.org/Advances…
yes!~明日への便り~ presented by ホクトプレミアム 霜降りひらたけ
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風も、雨も、自ら鳴っているのではありません。 何かに当たり、何かにはじかれ、音を奏でているのです。 誰かに出会い、誰かと別れ、私たちは日常という音を、共鳴させあっています。 YESとNOの狭間で。 今週、あなたは、自分に言いましたか? YES!ささやかに、小文字で、yes!明日への希望の風に吹かれながら、自分にyes!と言ったひとたちの物語をお聴きください。
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×江戸時代の福岡藩士、儒学者で本草学者の賢人がいます。 貝原益軒(かいばら・えきけん)。 本草学とは、薬草だけにとどまらず、自然界にあるもの全てが対象。 病の効能に役立つものを扱う学問です。 貝原は、さらに本草学だけではなく、当時まだ広く知られていなかった「健康」という概念を哲学的に説き、人生論にまで高めました。 江戸時代、平均寿命が50歳と言われていましたが、彼は84歳まで生き、82歳の時に書いた『養生訓』には、現代に生きる我々にも当てはまる、心と体の健康術が記されています。 貝原は言いました。 「体が健康だと、とかく無茶をする。 睡眠時間を削り、暴飲暴食、体を気遣うことは後回し。 病気になってから急に養生しだすが、時すでに遅し。 それはまるで、お金がなくなって貧乏になってから節約を始めるのに似ている。 お金があるうちから、抑えるところは抑え、節制に励めば、貧乏にならずに済むものを…」 貝原の銅像は、福岡市中央区の金龍寺にあります。 その銅像は、正座して机に向かっています。 彼は生涯、努力のひとでした。 書物を読み、調べる。 そしてその一方で、全国を歩き回り、現地におもむくことを大切にしていました。 貝原は、最晩年になって、執筆に勤しみ、多くの著作を残す偉人になりますが、若い頃は、挫折の連続でした。 特に20歳の時に、藩主の怒りを買い、およそ7年にわたる浪人生活を余儀なくされました。 何もできぬ失意の日々。 でも、その7年間の過ごし方こそ、彼がのちに花開くきっかけを作ったのです。 彼は、失意の日々を、いかにして希望の明日に変えたのでしょうか。 日本のアリストテレスと言われるレジェンド、貝原益軒が人生でつかんだ、明日へのyes!とは?…
福岡県久留米市出身の、漫画家のレジェンドがいます。 松本零士(まつもと・れいじ)。 『銀河鉄道999』『宇宙戦艦ヤマト』『宇宙海賊キャプテンハーロック』など、松本が描いた多くの名作漫画は、長きにわたり、アニメ化、映画化され、今もなお、世界中のファンに愛されています。 彼の作品は、宇宙を舞台にしたSFが多く、壮大なファンタジーという印象が強いですが、実は繊細で微妙な人間の感情、裏切りや嫉妬、怖れや後悔などが、丁寧に描かれていることでも有名です。 キャラクターづくりには、彼自身が幼いころから体験したこと、見たこと、感じたことが、色濃く反映されています。 松本は、戦後上京するまでの多感な幼少期、青年期を、小倉で過ごしました。 北九州市小倉北区にある、『北九州市漫画ミュージアム』は、まず等身大のハーロック像が出迎えてくれます。 このミュージアムは、北九州にゆかりのある漫画家の作品や功績が展示されていますが、『北九州発・銀河行き~松本零士を生んだ街~』のコーナーは必見。 松本零士のおいたちや創作の源に辿り着くことができます。 彼が小倉から上京したときに乗った、蒸気機関車。 そのときの、汽笛の音、煙の匂い、果てしない旅立ちへの恍惚と不安、それらの体験は全て、『銀河鉄道999』に投影されているのです。 角川書店刊、『未来創造―夢の発想法』という著書で、松本は、こんなふうに書いています。 「創作のためのヒントをどこから得るか? 僕はそのすべてを『体験』から得ている。 生まれてからいままでにこの目で直に見たもの、この耳で聞いたこと、行った場所、やったこと、出会った人々…、僕自身の体験が創作のすべての源泉になっていると言っていいだろう」 漫画界にあらたな革命を起こした賢人、松本零士が人生でつかんだ、明日へのyes!とは?…
福岡県北九州市若松出身の、芥川賞作家がいます。 火野葦平(ひの・あしへい)。 1937年、葦平が30歳の時、日中戦争が勃発。 召集令状が届きます。 戦地におもむく壮行会の会場。その片隅で書き上げた小説『糞尿譚』を友人に託し、中国、上海にほど近い杭州に旅立った葦平。 戦地に、友人からうれしい便りが舞い込みます。 「貴殿の小説が、芥川賞を受賞」 文藝春秋社、菊池寛(きくち・かん)の命を受けた、小林秀雄が杭州に行き賞状を渡すという、前代未聞の陣中授与式が行われました。 春の陽の光がキラキラ舞う湖のほとり。 葦平は、小林特派員から、うやうやしく賞状を受け取ります。 カメラのフラッシュがバシャバシャとたかれ、マスコミはこの様子を大きく報じました。 無名だった、ごくごくフツウの兵隊は、一躍、時のひと。 この受賞が、彼の運命を大きく変えました。 葦平は、その後、軍部に初めてできた報道部に転属。 戦争の様子を事細かに伝える、いわば、従軍記者の任を受けることになったのです。 兵隊たちの生々しい人間模様や戦争の過酷さを書き綴った従軍記『麦と兵隊』は、たちまち大人気。 『土と兵隊』『花と兵隊』と合わせた兵隊三部作は、300万部を超える大ベストセラーになります。 ただ、この作品で、葦平は「兵隊作家」というレッテルを貼られることになりました。 戦争が終わったあとも、そのレッテルを払拭するのは難しく、一時は、戦犯として、誹謗中傷の渦に巻き込まれます。 そんな葦平が、再起を賭けた記念碑的な作品が、自らの両親をモデルにした、『花と龍』という小説でした。 北九州市立文学館で、令和2年に開催された火野葦平没後60年の記念展。 そのサブタイトルは、「レッテルは かなしからずや」でした。 これは、ひとにレッテルを貼って区分けしてしまう恐ろしさ、哀しさを誰よりも知っていた葦平の言葉です。 いかにして、彼は、己のレッテルと戦ったのでしょうか。 52歳で自ら死を選んだ文壇の寵児、火野葦平が人生でつかんだ、明日へのyes!とは?…
今年生誕100年を迎える、イギリスの政治家がいます。 マーガレット・サッチャー。 ヨーロッパおよび先進国初の女性首相であり、断固とした態度や発言から、『鉄の女』の異名を持っています。 2012年に公開された映画『マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙』では、名優メリル・ストリープがサッチャーを熱演。 この作品でアカデミー賞主演女優賞を受賞しました。 映画は、首相を引退し、認知能力がおぼつかなくなった、晩年のサッチャーが、過去を回想する構成で展開します。 庶民の家で育った少女が、いかにして、政界のトップにまで昇りつめたのか。 そこには、格差社会、男性社会という大きな壁が立ちはだかっていたのです。 映画は、ただの成功譚ではなく、生身の人間であるサッチャーの挫折や喪失を丁寧に描いていきます。 サッチャーは、自分の価値観や生きる指標を、全て父親から教わったと自伝に記しています。 父は、幼いころから優秀で勉強熱心でしたが、家が貧しく、学校に進学できず、13歳の時、食料品店で働き始めます。 でも、勉学を諦めず、日々努力を重ね、地元の市長にまでなったひとでした。 父はサッチャーに、絶えず言い聞かせました。 「いいかい、どんなことでも自分で決定しなさい。 誰かがそうしたから、みんながそう言うから、というのが、いちばん危険だ。何かあったとき、ひとのせいにしてしまう。 それでは人生はいつまで経っても、おまえのものにならない。 誰かをあてにしちゃいけないよ。自分だけだ。自分だけを頼りなさい」 優秀な娘と、教育熱心な父。 リビングで父に勉強を教わっているとき、サッチャーは、暗いキッチンでひとり食事の片付けをする、母の後ろ姿を見ていました。 父に何か意見を言うこともなく、ただ、黙々と家事をこなす母。 サッチャーは、女性としての生き方についても悩みました。 「私も母のように生きていくしかないんだろうか…」 彼女は、いかにして『鉄の女』になったのでしょうか。 どん底のイギリス経済に革命をもたらしたレジェンド、マーガレット・サッチャーが人生でつかんだ、明日へのyes!とは?…
今年生誕100年を迎える、ノーベル物理学賞受賞者がいます。 江崎玲於奈(えさき・れおな)。 江崎がノーベル賞を受賞したのは、1973年、48歳の時ですが、受賞理由の論文を発表したのは、15年も前のことでした。 「固体中のトンネル効果に関する発見」。 トンネル効果とは、量子力学の「量子」の世界の話。 フツウは、壁にボールをぶつければ、ボールは跳ね返ってきますが、極めて小さな量子の世界では、ある確率で壁をすり抜ける。 これが、トンネル効果です。 32歳の江崎は、汗がしたたる暑い夏、研究室で実験を繰り返していました。 冷房はなし。むっとした空気は室内でよどむ。 半導体を流れる電流と電圧の特性を調べていたとき、彼は、温度によって特性が変わることに気づいたと言います。 ドライアイスで冷やすと、電流の値が変化。 この気づきこそが、のちのトンネル効果の発見につながったのです。 幼い頃、吃音に悩まされ、ひとと話すことを避けた少年は、自然界の不思議な現象に興味を持ちます。 ひとりで研究していれば、誰と話さなくてもかまわない。 彼はのちに述懐しています。 「もし私が吃音でなかったら、ノーベル賞をとることはできなかっただろう…」 江崎の口ぐせは、「巨人の肩の上に立つ」。 もともとは、万有引力を発見した、アイザック・ニュートンの言葉ですが、ことあるごとに、彼は口にしました。 その意味は、自分の発見や功績は全て、先人たちの血のにじむような苦難の上に立っているという、謙虚で冷静な視点です。 ある程度、仕事ができるようになると、時に、ひとは錯覚します。 全て自分の手柄であるかのように。 でも、多くの業績や成功は、決して自分だけのチカラでゼロからなしえたものではない。 江崎は、今では自分自身が巨人となり、その肩に多くの若き研究者がのれるように、心を砕き続けました。 実際に量子コンピューターの発展や、半導体超格子、その名がついたエサキダイオードなど、私たちの生活をより豊かにする科学の礎をつくり、後進にゆだねたのです。 半導体物理学のレジェンド、江崎玲於奈が人生でつかんだ、明日へのyes!とは?…
今年の1月14日、生誕100年を迎える、戦後の日本文学を代表する作家がいます。 三島由紀夫(みしま・ゆきお)。 三島は、19歳のとき、『花ざかりの森』を出版して以来、『仮面の告白』『潮騒』『金閣寺』など、数多くの小説や戯曲を発表し、1970年11月25日、陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地で、自決しました。享年45歳。 亡くなってから55年が経った今も、その存在感は、色あせるどころか、さらに深みと濃さが増し、彼の作品が、今の私たちに鋭いメッセージを投げかけているように感じます。 2月8日まで開催されている『三島由紀夫生誕100年祭』という企画展にも、老齢なファンはもちろん、若い男女が、連日、足を運んでいます。 開催場所は、緑豊かな東京大学駒場キャンパス近くの、日本近代文学館。 この展覧会には、図録がありません。 初公開の貴重な資料、手紙、展示物との一期一会は、この場所でしか味わうことができないのです。 展示は、3つのコーナーに分かれています。 三島を愛するミシマニア、書物を愛するビブリオマニア、そして日本を愛するヤポノマニア。 この企画展の実行委員会委員のおひとり、白百合女子大教授で、三島研究のオーソリティとして知られている、井上隆史(いのうえ・たかし)先生は、雑誌『新潮』12月号に、「書簡や署名入り献本が物語る三島の篤い交友関係、美しい造本に懸けた三島の思い、21世紀の日本を生きる私たちに向けてのメッセージを主題として展示することを考えた」と書かれています。 孤高の作家のイメージが強い三島が、実は、遠藤周作をはじめとする同時代の小説家と献本し合っていた、そして、編集者としての顔も持っていた彼は、新進気鋭の画家と組んで本の装幀にも心血を注いでいた…。 数々の展示品から見えてくるのは、三島という作家が、文化や芸術というバトンを、時代を越え、国境を越えて、必死につなげようとした熱い思いです。 文豪・三島由紀夫が人生でつかんだ、明日へのyes!とは?…
今年生誕100年を迎える、昭和を代表する音楽家のレジェンドがいます。 芥川也寸志(あくたがわ・やすし)。 大河ドラマ『赤穂浪士』のテーマ曲、映画音楽では『八甲田山』『八つ墓村』、CM曲、学校の校歌や童謡など、作曲した楽曲は多岐にわたります。 4月19日には、サントリーホールで、生誕100年を記念するコンサートが開かれ、『オルガンとオーケストラのための「響」』が演奏されます。 作曲家、指揮者としても活躍する一方、テレビやラジオなどマスコミによる音楽の啓蒙・普及に取り組み、アマチュア・オーケストラや地方の音楽家の育成にも尽力しました。 テレビのある番組で、子どもから、「どうして、おんがくはあるんですか?」と聞かれた芥川は、こう答えました。 「音楽というのはね、人間が生きていくのに、なくてはならないものなんです」 地方のオーケストラの指導にあたっているとき、ある楽員が、「ボクら、しょせんアマチュアですから」と発言するのを聞き、こんなふうに諭しました。 「ウェブスター大辞典によるとね、『アマチュア』という言葉の第一義に、『Love』とあるんですよ。 愛して愛してやまない、それが、アマチュアです。 素人なんていう意味、ないんですよ」 父・芥川龍之介が亡くなったときは、2歳でした。 父の記憶はありませんが、お葬式の祭壇に、たくさんのトマトが飾ってあったのが不思議だったと、のちに随筆に書いています。 著名な大作家を父に持った誇りと呪縛。 父が亡くなった年齢、36歳を超えるとき、思うように生きられぬ自分に腹が立ち、「ちくしょう!ちくしょう!」と心の中で叫んだと言います。 そして父の遺書のある言葉が、彼の人生を決めたのかもしれません。 遺書には、こうありました。 「人生は死に至る戦ひなることを忘るべからず」 愛する音楽のために一生を捧げた賢人、芥川也寸志が人生でつかんだ、明日へのyes!とは?…
能登国七尾、現在の石川県七尾市に生まれた、安土桃山時代の天才絵師がいます。 長谷川等伯(はせがわ・とうはく)。 彼の代表作と言えば、東京国立博物館に所蔵されている水墨画の最高傑作、国宝『松林図屏風』。 六曲一双の真っ白な屏風、右隻、左隻には、それぞれ2つずつのかたまりで、およそ20本の松が描かれています。 寒く凍える冬にも耐え続け、その緑を保つ様が、縁起が良いとされ、絵画のモチーフに好まれた松。 等伯は、墨一色で、松の枝ぶり、幹の強さ、遠近や奥行きを表現しました。 出色なのは、それが、寒い冬の朝の情景だとわかること。 遠い山に雪が積もり、朝もやで松の幹が霞む。 2013年の東京国立博物館がWEBで行ったアンケート「あなたが見たい国宝は?」で、見事1位に輝いたのもうなずける作品です。 日蓮宗に帰依し、仏画を専門に描いていた等伯は、能登半島ではそれなりに有名でしたが、まさか、当時すでに画壇を席巻していた、狩野永徳(かのう・えいとく)と肩を並べる存在になるとは、誰も思わなかったでしょう。 等伯には、有名になりたい、お金を稼ぎたい、という野心がありました。 当時、仏画の世界で、野心は邪念であり、恥ずかしいもの、と思われていましたが、彼は、33歳の早春、約束された安定を捨て、京の都に旅立ったのです。 等伯にとって絵画は、たくさんのひとに見てもらうもの、でした。 せっかく授かった才能も、誰かに見てもらわねば育たない。 彼の背中を常に押したのは、そんな野心だったのです。 千利休や豊臣秀吉に愛された絵師、長谷川等伯が人生でつかんだ、明日へのyes!とは?…
能登半島地震・復興応援コンサートで演奏された『アヴェ・マリア』で有名な作曲家がいます。 フランツ・ペーター・シューベルト。 「シューベルトのアヴェ・マリア」とも呼ばれるこの歌曲の原題は、『エレンの歌第3番』。 ウォルター・スコットの叙事詩『湖上の麗人』に、曲付けされたものです。 歌い出しがアヴェ・マリアであることから、教会でも多く歌われるようになり、いつしか宗教曲として認知されるようになりました。 シューベルトの歌曲には、私たちがよく知っている、耳なじみのあるものがたくさんあります。 『野ばら』『魔王』『セレナーデ』。 ピアノ曲、交響曲も、そのせつなくも美しいメロディが、時代や国境を越えて、心に沁みていきます。 モーツァルトと並び称されるほどの天才作曲家・シューベルトの楽曲の特徴は、幾度となく繰り返される転調にあります。 まるで目の前に天国が見えるような明るい曲に、忍び寄る暗い影。 そしてまた、黒雲にひとすじの光が射すように、曲調が変化していくのです。 わずか31年の彼の生涯は、病と失恋、貧しさや挫折の連続でした。 彼は一度も定まった土地、家に暮らすことはなく、一生、友人や父の家に居候し、独身のまま、この世を去りました。 多くの友人に恵まれ、経済的な援助を受けた一方、稼いだお金はすぐに知人に貸してしまい、時には手ひどく裏切られもしました。 そんな彼にとって唯一大切だったのは、作曲すること。 誰と一緒にいても、どこを歩いていても、頭の中にメロディが浮かぶと、所かまわず、音符を書き連ねたといいます。 シューベルトをモデルにした映画『未完成交響楽』でのワンシーン。 教師をしていたシューベルトは、ある授業中、急に『野ばら』の曲が頭に浮かび、黒板にいきなり楽譜を書いてしまいます。 笑う生徒たち。 しかし、彼が歌い始めると、生徒たちも一緒に合唱するのです。 そこがどんなに幸せで居心地がいい場所であろうと、いい曲のためであれば進んでさすらい、動くことをやめなかった賢人、フランツ・ペーター・シューベルトが人生でつかんだ、明日へのyes!とは?…
石川県能美市出身の、天才脚本家がいます。 佐々木守(ささき・まもる)。 佐々木は、いっさい自分の名前を売ろうとせず、いつも黒子に徹していたので、彼の名前を知らないひとも多いかもしれません。 しかし、彼が書いたテレビドラマや漫画原作のタイトルを聞けば、途端に彼の偉大さが見えてくるでしょう。 『ウルトラマンシリーズ』『柔道一直線』『コメットさん』、山口百恵の『赤いシリーズ』、アニメの『アルプスの少女ハイジ』。 漫画原作は、『男どアホウ甲子園』など、枚挙にいとまがありません。 ふるさとの石川県を愛した佐々木は、出身地に近い、加賀市山中町に移り住み、その温泉街を舞台に、連続テレビ小説『こおろぎ橋』を執筆しました。 さらに県内の高校の校歌の歌詞を書き、地元で視聴できる民放局が少なかったので、ケーブルテレビ会社の設立に尽力。社長に就任しました。 佐々木のトレードマークは、白いジャンパーにジーンズという出で立ち。 皇室に取材に行くときも、総理大臣に会うときも、高校に招かれて講演をするときも、いつも必ず、白いジャンパーにジーンズ。 気取らない、飾らない、そして自己顕示しない。 ただ作品に関しては、誰にも思いつかないアイデアで周りをあっと言わせてきました。 『ウルトラマン』で彼が創った怪獣は、ジャミラ。 第23話、タイトルは『故郷(ふるさと)は地球』。 ジャミラは、実は怪獣ではありません。 地球から宇宙に飛び立った宇宙飛行士。 宇宙船のトラブルで、地球に帰ることができなくなり、救出を待っている間に体に異変が起きて、醜い姿に変ってしまいました。 しかし、地球では宇宙船のトラブルを隠蔽。 そのことに怒ったジャミラは、復讐のためにやってきたのです。 怪獣の正体が人間であるという事実に、苦悩するウルトラマン。 誰も発想しなかった作品は、絶大な反響を呼びました。 ちなみに、ジャミラは、アルジェリア独立闘争の最中、虐殺された少女の名前です。 佐々木の人柄や作風を尋ねると、多くのひとの感想は、ただひとこと、『優しい』。 優しさだけを手にして、膨大な脚本を書き切ったレジェンド、佐々木守が人生でつかんだ、明日へのyes!とは?…
石川県金沢市出身で、禅の思想を世界に広めたレジェンドがいます。 鈴木大拙(すずき・だいせつ)。 今、禅は「マインドフルネス」にその名を変え、世界的なブームが続いています。 スティーブ・ジョブズもはまった、禅。 そのルーツをたどれば、1950年代前半、鈴木大拙が単身アメリカに渡り、コロンビア大学やイェール大学で禅の講義を英語で行ったことに端を発しています。 大拙は『禅と日本文化』という著作を自ら英訳。 雑誌『タイム』や『ニューヨーカー』で大きく取り上げられ、効率主義や大量生産に疲れた欧米人は、東洋思想に飛びつきました。 2011年に金沢市に建てられた『鈴木大拙館』は、金沢が生んだ賢人の足跡のみならず、その精神世界を知るために欠くことのできない記念館になっています。 名匠・谷口吉生(たにぐち・よしお)設計によるこの記念館は、小立野台地から続く斜面緑地を背景に、石垣や水を張った池により、金沢の風土を再現。 自然に溶け込んだ記念館は、まるで彼が唱えた思想を具現化するかのように、悠然と立っています。 大拙は、割り切らない、ということを大切にしました。 もともと、西洋は、割り切る文化。分ける、イコール、わかる。 善か悪か。右か左か。勝ち組か負け組か。 そして東洋は、二分するまえの全体にこそ、意味を見出す文化だったのです。 分けない、世界。 あいまいさ、溶けて見えない、境界線。 日本の家屋は、軒、縁側という、内と外、どちらともつかない空間を有していました。 反対に西洋は、軒はなく、すとんと真っすぐな、石やレンガの壁。 外界と内側をハッキリ区別したのです。 いつしか日本は、そのあいまいさを手放すようになってしまった、どちらとも言えない世界の、わび・さびを捨てさってしまった、そう、大拙は嘆きました。 今こそボーダーレス、多様性、ダイバーシティが叫ばれていますが、70年以上前に、それを語っていたレジェンドがいたのです。 禅をグローバル化した、世界に名立たる仏教哲学者、鈴木大拙が人生でつかんだ、明日へのyes!とは?…
大正ロマンを代表する、美人画で有名な唯一無二の画家がいます。 竹久夢二(たけひさ・ゆめじ)。 数え年・51歳で亡くなった夢二は、晩年、群馬県の伊香保の地に「榛名山美術研究所」を建設するという構想を発表していました。 榛名湖畔にアトリエを構え、いよいよ着工するというときに、念願だった海外外遊の機会を得ます。 帰国後に本腰を入れて建設に携わろうと目論んでいましたが、体調を壊し、やがて逝去。 結局、美術研究所は夢のまま、終わってしまったのです。 夢二が初めて群馬県伊香保の存在を知ったのは、28歳の時。 一通のファンレターでした。 加藤ミドリという少女からの手紙に、彼は返事を書きました。 当時、夢二の人気はうなぎのぼり。 ようやく画集が刊行され、美人画というジャンルに光明を得た頃でした。 女性ファンからの熱烈な手紙が毎日届いていました。 その中で、なぜ、このミドリという少女の手紙に返事を書いたのか。 真相はわかっていません。 ミドリは、伊香保で出会った画家を夢二と勘違いしたようです。 夢二の返事は、『竹久夢二伊香保記念館』に所蔵されています。 「愛らしいお手紙うれしくうれしく拝見しました。 イカホとやらでお逢ひになったのは私でありません。 それが私であったろうならと心惜しく思はれます」 夢二が実際に伊香保を訪れるのは、手紙からおよそ8年後。 36歳の時でした。 彼は、悩んでいました。 美人画では、誰も追随できない境地に達し、「夢二式」ともてはやされましたが、人気にかげりが見え始め、本の装幀、雑誌の表紙、詩や童話、ポスターやチラシのデザインなど、さまざまなジャンルに手を広げても、焦りと不安はぬぐえません。 そんな彼が、あらたなジャンルの着想を得たいと望み、訪れたのが、伊香保だったのかもしれません。 美術学校にも行かず、師匠も持たず、孤高の道を進んだ彼にとって、自分だけのジャンルを開拓することだけが、生き残る術だったのです。 独特の画風で今も多くのファンに愛されるレジェンド、竹久夢二が人生でつかんだ、明日へのyes!とは?…
都市計画と集合住宅のレジェンドとして知られる、ドイツの建築家がいます。 ブルーノ・タウト。 彼はヒトラーの台頭に危機を感じ、建築家仲間の知己を頼って、日本にやってきました。 京都、仙台などに滞在したあと、1934年8月、群馬県高崎市のある小さな住まいに移ります。 それが、少林山達磨寺の、心を洗うと書く『洗心亭』。 滞在は予定を上回り、2年3か月もの間、日本での暮らしを堪能しました。 彼がそのときの様子を記した日記や絵は、1930年代の日本を映す貴重な資料として、今も大切に保管されています。 洗心亭は、6畳と4畳半、二間の質素な平屋。 しかし、入ったその日に、タウトはここが気に入りました。 建物を取り囲む、豊かな自然。木々のざわめき、鳥の声。 障子から差し込む陽の光に、わびさびを見出す。 もともと日本文化に傾倒していた彼にとって、そこは、楽園だったのです。 日本にいる間、思うように建築家としての仕事はできませんでした。 たまに設計の発注があっても、西洋風で斬新な建築を望まれ、いかにも日本風のデザインを推し進める彼との間に、深い齟齬が生まれてしまいます。 それでもタウトは、洗心亭での暮らしだけで、十分、幸せでした。 日々のうつろいを、丁寧に楽しむ生活。 彼が建築で最も大切にしたものは、「つり合い」でした。 建物自体のつり合い。まわりの環境とのつり合い。そこに暮らす人間とのつり合い。 人生も、決して独善的であってはならない。 必ず、一緒にいるまわりの人との「つり合い」の中で、生きていく。 日本人が忘れていた「日本的な美」を提唱した、唯一無二の建築家・ブルーノ・タウトが人生でつかんだ、明日へのyes!とは?…
群馬県の伊香保温泉でこの世を去った、明治・大正期の文豪がいます。 徳冨蘆花(とくとみ・ろか)。 幼少期より病弱だった蘆花は、自分の心や体の変調に敏感でした。 破天荒で自由人。時にわがまま、傍若無人。 でも、こよなく自然を愛し、体を整えるために旅を好み、しばしば、伊香保温泉を訪れていました。 自分に海が必要とあらば、神奈川の逗子で暮らし、山間を欲すれば、伊香保におもむく。 そして晩年、妻と農業をやりながら住んだ地は、東京、千歳村粕谷。 現在の世田谷区、蘆花公園です。 彼の名がついた庭園には、今も旧宅が保存され、緑豊かな自然が残っています。 徳冨蘆花の名を世に知らしめたのは、明治31年11月29日から国民新聞に連載された小説でした。 題名は『不如帰(ほととぎす)』。 主人公、浪子は、実家の継母に苛められ、嫁いだ先の姑に苦しめられ、やがて夫は日清戦争に出征。 ひとりになった彼女は結核となってこの世を去る、というストーリー。 流行の兆しがあった家庭小説というジャンル、そして、女性の苦悩をひたすら描いた斬新さと、結核という当時の感染症のリアルな描写に、読者は次号を待ち望みました。 この小説は、「あ丶辛い! 辛い! ――最早(もう)婦人(おんな)なんぞに――生まれはしませんよ。」という流行語を生みました。 さらに、夫の出征を見送るシーンで、浪子がハンカチを振ったことを受け、「別れ」に「ハンカチを振る」ことがスタンダードになったと言われています。 蘆花は、逗子にいた頃、ある女性から聞いた逸話を、『不如帰』という小説に脚色したと、自ら認めています。 彼は生前、よく知人に話していました。 「私は、見たこと、聞いたこと、感じたことしか、書けない」 ゼロから想像して書くひとを決して否定はしませんでしたが、自分の流儀は、あくまで、自然主義。 この世を美化しない。ファンタジーでごまかさない。 そのことで周りとの軋轢を深め、時に誹謗中傷を受けましたが、彼は終生、己の主義を貫いたのです。 あえて茨の道を選んだ作家、徳冨蘆花が人生でつかんだ、明日へのyes!とは?…
群馬県立近代美術館にその絵が所蔵されている、江戸時代の大人気・絵師がいます。 円山応挙(まるやま・おうきょ)。 応挙と言えば、先月、新たな発見を、ネットや新聞が大きく報じました。 それは、絵師として人気を争った、かの伊藤若冲(いとう・じゃくちゅう)との初の合作屏風が見つかったのです。 若冲と応挙、それぞれが得意とした題材を描いた、初の合作屏風。 これは「驚くべき発見です!」と美術史家で、明治学院大学教授の山下裕二(やました・ゆうじ)さんは語ります。 左の屏風、左隻は若冲が鶏を、右の屏風、右隻は応挙が鯉を描きました。 発注者が別々にお題を与え、依頼したものだと思われますが、当時、人気を二分していた二人にとっては、まさに競作、競い合った、稀有な一品です。 この作品は、来年6月21日から8月31日まで大阪中之島美術館で開催の「日本美術の鉱脈展 未来の国宝を探せ!」で公開されます。 京都のひとに、いまだに「応挙さん」と親しみを込めて呼ばれる、唯一無二の画家、円山応挙。 彼は当時としては珍しく、どの流派にも属さず、生涯仕えた師匠もいませんでした。 室町から400年続く狩野派の勢いは止まらず、中国の絵画の影響も大きかったその時代に、なぜ、彼は独学で成功を収めることができたのでしょうか。 貧しい農家に生まれ、10代で奉公に出てから30代前半まで、ひたすら食べるために働き、絵師として生計が立てられることなど、夢のまた夢。 ただ、好きな絵だけは、画き続けました。 しかも彼が大切にしたのは、目の前のものを正確に画く技術。 愚直なまでに、今、見えるものを忠実にとらえる心。 破天荒で芸術家気質のライバルたちと違い、ひたすら真面目に生きることで、彼はチャンスを得たのです。 観るものを没入させる江戸時代の天才画家、円山応挙が人生でつかんだ、明日へのyes!とは?…
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